読んで納得! 「応天の門」ラストシーンのワケ

こんにちは、はるとです。

ブログを2日間休んで「ディミトリ」の配信も観ずに週末たっぷり「応天の門」遠征に行ってきました。

芝居の月組の新作にワクワクしながら遠征したのですが、月城・海乃の3作目は期待を裏切らずめちゃくちゃ素晴らしかったです。

「Deep Sea」も見どころが多く、芝居とショーが両方いいのはさすが月組!


で、「応天の門」のラストシーン、まるで星組の「めぐり会いは再び」みたいにシリーズ化されるのではないかと思った方も多かったのではないかと思いますが、観劇後に史実を確認して納得です。


以下、まだ観劇されていない方はネタばれ注意。


でも読んで欲しいのでボカしながら書きます(笑)


観劇後に史実を確認するために調べたのはウィキペディア。

菅原道真は西暦845~903年の人。

平安時代が「なくよ(794年)うぐいす平安京」で始まり「いいくに(1192年)作ろう鎌倉幕府」で終わるうちの初期に活躍しました。

「応天の門」は藤原氏が実権を握った清和天皇(56代)の頃の話しです。

菅原道真は宇多天皇(59代)の近臣で右大臣にまでなり遣唐大使にも任ぜられますが唐が滅亡して唐には結局行けませんでした。

等々ちょっと調べるだけでもいろいろ面白いのですが、今日はラストシーンの話し…


菅原道真は57歳まで生きます。

最後は九州の大宰府に左遷され、俸給や従者も与えられず衣食住もままならず、流刑ではないですが実際は緩慢な死罪に等しかったそうです。

左遷は藤原氏の陰謀だけでなく道真に反感を持っていた多くの貴族層の同意というのも「応天の門」を観て納得。

その後藤原一族や宮中に不幸なことが数多く起こり、「神仏を信じない」道真の怨霊が原因とされて京都・北野天満宮に神として祀られ九州・大宰府天満宮も建てられたそうです。

だからあのラストシーンなんですね!

だからあのメイク?

菅原道真は学問の神様として知られていますが、実際は怨霊として恐れられたので鎮めるために祀られているんですね!


コミック「応天の門」は東京大学資料編纂所の先生が監修していて文化庁の賞まで取っているマンガ。

めちゃくちゃ史実が生きています。

それを「芝居の月組」がやっているのだから面白くないわけがない。


京都市内北西部に妙心寺というお寺があります。

お寺が一軒だけあるのではなく、そのお寺の関係の院が40軒以上集まっていて、まるで平安時代の京都の町のような感じです。

「応天の門」の最初のシーンの屋根の上で本を読んでる月城かなとが本当にいそうな感じなので、ぜひ行ってみてください。


「応天の門」

総合評価      ☆☆☆

蒼穹の昴の日本版  ☆☆☆
予算もかからず   ☆☆☆
専科も1人     ☆☆☆


ではまた劇場でお会いしましょう!




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